子温|2018.11.26

 

さっそくですが、非農家、それも若年の新規就農希望者が描く農業の未来像に、農薬や肥料を使わない「究極の自然農法」が理想としてあることをご存知でしょうか?
 

筆者もそんな気概に触発された一人であり、今でも数々の農業書籍を目で追う中、とりわけ「有機栽培」や「自然農法」といった文面には頭上のアンテナが反応してしまいます。
 

今やなぜ、自然農こそが理想像、あるいは夢物語のように語られているのか? 

 

いくつか言えることは、 

・大局的に見て、現行の農業に行き詰まりを感じていながらも、直ちに自然農に移行していくのが至難の業であること。 

・食の未来を担う若年層にとっては、農法に選択肢を求め、そこに新たな自然観と経済的な付加価値を見出していること。 

・日本の農耕を見直す、時局の節目に差し掛かっていること。

 

そういった農への不本意さが閾値を超えたことで、自ずと出てきた根源的な願望ではないか、とも考えられます。
 

終戦から半世紀以上が過ぎ、モノや情報が供給過多となった今を生きる若者には、折り合い点というものが最も必要とされているのかもしれません。

そこには慣行農業だけではない、多様な選択肢が求められています。


筆者は、野菜中心の少食実践家ですが、そうなった理由としては、自分の身体にとってより自然的な、あるべき方向を選んだためだと言えます。
 

そんな私には、長年忘れられず心に留めている言葉があります。

 

それは、

生命は貴重であるが、愛しすぎると腐る。もっと粗末に扱うべきだ」というもの。
 

大量生産または飽食の時代を生きる自分にとっては、与えられることが当然であり、いつどこで本来の自力が生み出されるのか、どう発揮すればいいのか、分からないでいました。
 

そんな現代に生きているからこそ、過保護であることの罪を自覚することができ、また生命を最大限活かすことの重要性を想像できるのかもしれません。

昨今の気象面も踏まえると、農業をとりまく環境はこれまで以上に厳しく、課題が山積みとなっている事実は否めません。

筆者は自然環境の浄化を担う農業から今後も目を逸らさず、自分なりの方法で農に関わっていく道を模索していきたいと考えております。

将来的な食糧事情に対応していくためにも、慣行農業や自然農に加え、多岐にわたる農的ライフスタイルを個人々々が提唱していく世の中であってほしい、と切に願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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